コンクール

 覚悟はしていたものの、やっぱり悔しい、と感じてしまう。無難な演奏ではなく、ショパンとここまで全身全霊で向き合い、「らしさ」を出して渾身の演奏をされたのだから、もし結果がついてこなくても……結果以上に価値のあることを成し遂げたのだと、清々しささえ感じられるはずだ、と。昨夜の時点では、そう思っていたのですが……(三次予選の記事)。

 まずは、おつかれさまでした。ゆっくり休まれてください。今、もっとも多くの感情を抱えてらっしゃるのはご本人だと思います。記憶に刻まれる演奏でした。本当にありがとうございました✨

 この続きを書く前に、コンクールについて、少し前に書いた小説の一部を引用させてください。

(追記:実は、予備予選の出場者一覧に牛田さんのお名前がなかった(予備予選免除者の要件緩和についてはまだ知らなかった)時に、当時書いていた小説に書き足したものです)



 日本の某都市で開催される国際コンクール。昨年のコンクールに出場していた彼は、一次予選で敗退した。

 国内外から有望な若手が集まるこの本大会に、出場しただけでもすごいことだ。しかし、彼はもっと上へ行くべきだった。少なくとも私はそう思っている。だから、今年も出てほしかった。

 コンクールに出てほしいと思うのは、聴衆のエゴだ。コンクールに出るのが当たり前ではない。出場するもしないも本人の自由。才能を比較し、順位をつけるなんてナンセンスだ。コンクールには関与しないという信条で活動している者もいるだろう。

 確かに、コンクールがもたらしてくれるのは良いものだけでない。芸術の目的は競争ではなく、コンクールはあくまで通過点に過ぎないとわかっていても、競うことを意識せざるを得なくなるからだ。

 聴衆としても、こんな結果でお気に入りの奏者が打ちのめされるくらいなら、出ないでほしいと思う瞬間すらある。

 結果を残せればいいが、早々に敗退した場合、むしろ〈その程度の奏者〉と評価されるリスクさえある。ロクに聴いたこともないくせに結果だけを引用し、的外れな講釈を垂れるアカウントを見た日には、怒りで頭が沸騰しそうになるほどだ。それなのに、胸にぽっかりと穴が開いたような、この感覚はなんだろう。

 彼の演奏をもっと聴きたかった。聴いてほしかった。認めてほしかった。

 音楽家であるかどうかにかかわらず、客を集めるには知名度が必要だ。そして、音楽家が知名度を高める手段として手っ取り早いのがコンクールである。

 入賞すれば箔が付き、大手レコード会社から録音がリリースされ、リサイタルの機会も格段に増える。それに、今どきはインターネットでの配信も行われるから、出場するだけでも愛好家たちの目に触れやすくなる。継続的な音楽活動にコンクールが果たす役割は大きい。

 出なくていい。出てほしい。相反する感情がうずまくものの、彼が出場しないという事実は変わらない。



 でも、牛田さんは出場しました。ショパンコンクールという大舞台に、二度も挑戦しました。

 この小説で語られている〈彼〉は、無名の音大生でした。牛田さんは、すでに十分すぎるほどの知名度があり、実力も認められているピアニストです。

 一人称視点小説の地の文という特性上、あえて露悪的な感じで書きましたが、コンクールに出場する目的は知名度を上げたり、箔をつけたりするためだけではありません。音楽に向き合い、己を高めていく過程に、自然とあるのがコンクールという通過点。ショパンの音楽を追求する方々にとってのショパンコンクールに関しては、まさにその側面が強いと感じます。

 こうやって私たちが結果に一喜一憂するのも、聴衆のエゴなのだろうと思います。私たちの声援がプレッシャーに感じられることもあるかもしれません。それに、「私たち」のためにコンクールという過酷な試練を受けているわけじゃない。いつも「聴いてくださった皆さん」と私たちに言及してくださるけれど、自惚れてはいけないし、そう自覚しなければならないと思います(応援している私たちもですが、一番は、「聴いてやってる」と言わんばかりの態度でXやチャット欄に書き込む人たちのことです)。そう自覚しながらも、やはり覚悟ある挑戦と素晴らしい演奏に「ありがとう」と思わずにはいられません。

 なにが言いたいかというと、私たちのためじゃないとしても、ショパンコンクールという特別な舞台から、リスクも承知のうえで素晴らしい音楽を届けてくださったことに、心からの感謝を。ありがとうございました。挑戦し続けたその姿勢に、深く敬意を表します。

 いいえ、またコンクールに挑戦するにせよ、しないにせよ、挑戦はまだまだ続いていきますね。牛田さんはこれからも、ご自身の音楽哲学を真摯に追求していくのだろうと思います。牛田智大さんの前途に幸多からんことを!


 なんの運命か、誕生日当日にショパンコンクールで演奏した牛田智大さん。考えてみたら、牛田さんって私と二つしか変わらないんだ……。そういえば昔はテレビの牛田さんを、年上のすごいお兄さんだと思って見ていました。今になってみれば、二歳って結構小さな差だけれど、自分があと二年で牛田さんのように成熟できるかというと全くそんな気がしない。私なんて、まだ学生で、何も成し遂げていないし(笑)。夢に向かって勉強しているつもりだけれど、正直頑張りきれていない部分が大きくて、日々自己嫌悪……。牛田さんの演奏を聴くと、背筋が伸びます。私ももっと努力して、目の前のことに向き合っていきます。感動だけじゃなくて勇気ももらいました。きっとますます人気が出るんだろうと思いますが、また北海道にも来てほしいです。昨年いらっしゃったときは大学院入試の翌日で、高熱が出てしまって……😭 私の夢が叶ったら(ちゃんと就職できたら)飛行機に乗って、牛田さんの様々な演奏を聴きにいきたいです。ついでに旅行も兼ねちゃったりして。これからも素晴らしい演奏を生で聴く機会がたくさんあるのだと思うと、とっても楽しみです。

 牛田さんは「ひとりのピアニスト」だと思います。「ひとり」は人数であり、自立(自律)した人間であり、孤高の人でもある。私も「ひとり」でありたい。


 コンクールに出場している人数分、ここに至る過程と覚悟があって、様々な感情が渦巻いていると思うと、本当に途方もない。すべての出場者の皆さんに敬意を。

これまでの記事↓

第19回(2025年)ショパン国際ピアノコンクール

第19回(2025年)ショパン国際ピアノコンクールの一覧。第19回(2025)ショパン国際ピアノコンクール三次予選結果 - 夕影です。三次予選の結果が発表されました。三次予選通過者(本選出場者)Piotr Alexewicz(ポーランド)Kevin Chen(カナダ)David Khrikuli(ジョージア)桑原志織(日本)Tianyou Li(中国)Eric Lu(アメリカ)Tianyao Lyu(中国)Vincent Ong(マレーシア)進藤実優(日本)Zitong Wang(中国)William Yang(アメリカ)ファイナリストの皆さん、おめでとうございます🎊 牛田智大さんについては、別の記事で書きました。ここまできっちり40人、20人と絞ってきまっしたが、ファイナリストは11人となりました。混戦だったことが想像されます。ここに名前のある方々全員、本当にすごいピアニストだと思います。日本からは桑原志織さんと進藤実優さんが通過。ここまで来たらお二人とも入賞してほしい。コンチェルトだけじゃなく幻想ポロネーズも弾かなければならないなんて、体力を要する舞台だと思いますが、悔いのない演奏ができるよう、日本から祈っております。桑原志織さんについて、同じことを考えている方もすでにたくさんいるかと思いますが、ケヴィンと桑原さんが立ち位置的に(演奏スタイルは全く違う)、前回のブルースと反田さんに重なります。今回は、ぜひとも優勝を……! 桑原さんならいける、と望んでしまいます。三次予選の記事には書けなかったのですが、桑原さんの三次予選も本当に素晴らしかったです。桑原さんが弾くスケ3はきっと素敵だろうと思って楽しみにしてたら、オクターブの安定感とキラキラ降下する感じがまさに理想的で、マズルカもリズムに乗れたし、「こういうのが聴きたかった」の極みにあったソナタ3番も、美しい音色を保ったままの4楽章が、とても分厚くて……! ファイナルでまた聴けるのが楽しみです。目が覚めて、まだ寝不足ですが、結果を見てもう眠れなくなったので勢いで二本も記事を書いてしまいました。大学に遅刻の危機! いってきます。これまでの記事↓

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夕影巴絵

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