牛田智大ピアノ・リサイタル 2023.3.31 札幌コンサートホールKitara ブラームス他

 

 牛田智大さんのリサイタルに行きました。ショパンコンクールの配信を聴いてから(その時のブログはこちらこちら)「生演奏を聴きたい!」という気持ちが一層強くなっていたので、チャンスに恵まれ、ずっと楽しみにしていました。

 とまあ、そんな感じでとても期待して行きましたが、それでもなお期待をはるかに上回るリサイタルでした。

 一夜明けて感想をまとめてみると、牛田さんの演奏が素晴らしかったのと、久々の生演奏だったということもあり、とても長くなってしまいました……🙇‍♂️

 私の語彙力では限界がありますが、感動の気持ちを残しておけるよう、自分なりに頑張りました(笑)



 この日は笑顔ではなく、シリアスな表情で登場。

 (終演の頃には微笑も少し見えましたが、この日は終始シリアスな表情でした。プログラアムの世界観に入り込んでいたのでしょうか。)


 一曲目はシューベルトのアレグレット。正面五列目、表情までよく見えます。手首を使ってフレーズを丁寧に繋げていきます。シンプルな曲で奏者のピアノとの向き合いかたがよくわかる気がしました。どこまでも誠実。


 二曲目はシューベルトのソナタ十三番。第一楽章の美しい主題、神経の行き渡った演奏。派手なフォルテは少なめ、主要な音だけフォルテで浮き上がらせます。明るくて軽やかな曲だと思っていましたが、彼の演奏は仄暗く、力強い。


 シューベルト二曲はどちらも奇を衒わず、誠実で真摯な演奏。そういう意味では確かに正統派なのだけれど、真面目でつまらない、とならないのは、独特の緊張感があるためでしょうか。個性的。


 三曲目はシューマンのソナタ一番。第一楽章の序奏は私が聴いていたポリーニよりかなり遅めのテンポ。一つ一つの音に惹きつけられて、これまでに無いくらいじっくり聴けました。序奏の後は特別遅いということはありませんが、弾き飛ばす箇所の無い、くっきりとした音楽づくり。前述したように派手なフォルテは少なく、計算された骨太のフォルテで聴かせます。第二楽章で弱音を堪能したのち、第三楽章では空気が変わります。ある種トランス状態に入ったかのよう。手首、腕、足、全身で弾きます。盛り上がる箇所での足捌き……あのステップ、見ましたか? ペダルを踏みつつ足でリズムを取り、付点をくっきりと演奏する。王道の中に、神経の行き届いた切迫感。第四楽章は滴る深い音で溢れ、熱演で締めくくられました。


 休憩が終わり、四曲目はブラームスのソナタ三番。第一楽章ではいきなり本日初のフルパワーで、壮大な入り。絶妙にタメを取りつつ、スケールの大きい音楽づくりをしていきます。第二楽章は私の好きなナンバー。悲しい時によく聴きます。極めて繊細なピアノ(p)で、心が洗われました。第三楽章では活発な出だしでも走らずタメを少しずつ取り、くっきりとしたリズムで、音と音との間にも音楽を感じるような演奏。迫力がありますが、一方で、あくまで落ち着いた音楽づくり。凛々しい舞、という言葉が思い浮かびました。続く第四楽章で陰のある輝きが帰ってきたのち、第五楽章は切れ間なく始まりました。終わらないでほしい……と願いましたが、充実したフォルテで、入魂のフィナーレ。


 そして、アンコールでまた演奏を聴ける幸せ……。特に圧巻のシャコンヌではブラボー&スタオベが。


 牛田さんがすぐ目の前でピアノを演奏していた光景が、もう遠い昔のようです。素晴らしかった。

 テンポを上げたくなりそうなところでも決して突っ走らず、自分の音楽を表現する。信じている音楽がちゃんとあるんだな、と伝わってきます。

 観客を置いていかないから、音にのせられた思いにこちらもじっくりと耳を傾けざるを得なくなる。自然と、私達も音楽を真剣に聞かなければ、という気持ちになる。だから、極端に強い音や極端なスピードが無くても、彼のつくる音楽が深く迫ってきて、緊迫感を感じることができるのかな、と思ったり。そしてあらためて、音を大切にしてるんだな、と。音を滑らかに繋いでいるとか、優しいタッチだとか、そういうのとも少し違って。一つ一つの音にきちんと質量があるというか。

 これが23歳のピアニストだなんて……。「若気」が全く感じられないのはもちろんのこと、巨匠だから許される、というような「崩し」も無し。また、一切の虚飾が無い。ただひたすらに音楽と向き合って、向き合って、苦しくても向き合い続けて自分だけの解釈を練り上げる、修行僧のような、職人のような……うまく言えません。とにかく正統派かつ個性的、貴重!

 ずっしりとした落ち着きと緊迫感が同時にあるのはなんだか不思議な気もするけれど、その矛盾が特別なんですよね。


 帰宅途中でインスタライブは見られなかったのですが、ツイートしている方々がいたので「ピアニストではなく作曲家の曲に会いに来てもらえるように、その橋渡しをしたい」(又聞き?なので間違ってるかも)と仰っていたと知りました。本当に頭が下がります……。言葉だけでなく、演奏にもきちんと一貫している姿勢だと納得させられるのがすごい。

 表現者という言葉がありますか、彼は自己表現を好まず、作曲家の使者としての役目に徹するのですね。自分の演奏を聴きに来た、と言われれば普通は嬉しいはずなのに、多少なりとも自分が自分が、となってもいいのに……。

 曲をもっと好きに、そしてもっと色々な曲を聞こう、と昨日のリサイタルで思いましたよ😊


 長くなってしまいました。とにかく牛田さん、札幌までお越しくださり、ありがとうございます。お疲れさまでした。また来ていただけるのを楽しみにしています!

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

夕影巴絵

ゆうかげともえ、と読みます。

哀感パヴァーヌ

Sorrow Pavane 夕影巴絵のホームページへようこそ

0コメント

  • 1000 / 1000